番外地劇画とは

《番外地劇画》という言葉は、凡天太郎とその周辺作家の作品をメインストリームの劇画と区別するために当会が発案した造語です。

凡天太郎の劇画はエロ劇画がジャンルとして確立される以前の三流劇画誌や、マンガを掲載していた一部の実話雑誌と深く関係しています。エロ劇画誌成立(1973年)以前の三流劇画誌は、小学館 「ビッグコミック」に代表されるような一流劇画誌を目指していたが追いつけずに三流に甘んじている訳ではなく、見せ物的であったり即物的欲求を満たすためだけに描かれたエロ・グロ・ナンセンスの無法地帯として切り離された生態系の中で独自の深化を遂げていました。
凡天太郎が活躍した主な雑誌、新星社「漫画OK」、芸文社「漫画パック」などもこれに属しています。

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1965(昭和40)年頃から劇画ブームに便乗した大人向けマンガ誌が次々と濫造されるアナーキーな出版状況の中でマンガ家として再デビューした凡天太郎のもとには、貸本からマンガ雑誌へと活動場所をうまく切り替えることのできなかった作家たちが集まってきました。凡天太郎プロダクションは、絵物語の終焉によって仕事がなくなった挿絵画家や紙芝居出身で赤本から貸本へと職を変えながらマンガを生業をしてきた画工達が集まる最後の砦だったのです。

そこにはマンガ家を目指す者だけではなく、刺青の弟子、歌手志望の者、ただの食い詰め者まで様々な人種が集まり、横浜の生麦にあった凡天太郎夫人のお母さんが経営する「スナック渚」の2階でマンガを量産していました。凡天プロは、凡天作品掲載誌に作品を発表する場合にこのスナックの名前をとって、ナギサプロという名義でも作品を発表しています。

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水木しげるの後を継いで兎月書房版「墓場鬼太郎」の作画を担当した竹内寛行がチーフアシスタントを務める凡天プロは、劇画工房の系譜でもなく青年誌を巻き込んだ劇画ブームの中で変質した新劇画(辰巳ヨシヒロが定義)と呼ばれる潮流とも異なる、戦後紙芝居ブームの末期のエログロ表現が継承されたマンガを産み出していたのです。

このような状況の中で誕生したマンガ作品をメインストリームの劇画と区別し《番外地劇画》と呼び、その魅力を広めていければと思っています。

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