映画人としての凡天太郎

映画人としての凡天太郎
 
ある日、資料発掘作業しているとこんな招待状が見つかりました。
 
 
 
昭和49年3月3日に開催された「天尾完次を激励する会」。
 
岡田茂の片腕としてトラック野郎シリーズや異常性愛路線、
東映ピンキー・バイオレンスを手がけた鬼才プロデューサー天尾完次氏を囲むパーティーのようです。
 それにしても、凄まじいメンツ…。
 
当会は凡天太郎の劇画を研究するという目的で立ち上げたサークルですが、
凡天太郎は非常に多才で漫画は一側面でしかありません。
 
このブログを書いている私自身が漫画以外には疎いため、
もう少し知識の幅があればいろんなアプローチができるのにと思います。
 
天尾完次フィルモグラフィー
http://www14.ocn.ne.jp/~usubaka/pinky.html
従来のピンク映画と差別化を図るために「ポルノ映画」という言葉を造った人物で、
漫画方面では篠原とおる『ゼロ戦夏子』の原案なども手がけていたんですね。

広告

映画人としての凡天太郎」への3件のフィードバック

      • 当たり前の事ですが、皆さん若い!
        そして、意気揚々としていた時期だったでしょう。
        お見せしたいですが、肖像権があり公表できません。
        残念です。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中